ダイエットとアンガーマネジメントと仏教と怒りのコントロール

ダイエットに思うこと

最近、アンガーマネジメント系の本をたくさん読んでいます。
アンガーマネジメントとは、その名の通り、「怒りのコントロール技術」のことです。

私はものすごく気分屋で、イライラすると癇癪を抑えられなくなってしまいます。

元々気分屋だったのに、ダイエットで我慢することが増えると、イライラすることが増えます。
そういう自分がすごく嫌だったので、なんとかしたいと思ってひたすら知識を詰め込んでいます。実践できているかどうかはべつとして。

 

感情の取り扱いについては仏教が詳しいという話

 

いろいろ読んで思ったのですが、アンガーマネジメントは仏教と切っても切り離せない学問(技術?)ですね。
というか、仏教が元なのかな? ラベリングとか。仏教でも教えられているイメージです。
そもそも仏教の考え方が、「自分をしっかり見つめて理解していけば最終的には悟りを開ける」みたいな教えですし。
アンガーマネジメント系の本を読むと、お坊さんが多かったりして。

欲求を抑える系の技術で絶対と言っていいほど出てくるのが、「自分を見つめよう」という言葉。
偏見や固定概念を排除して、ちゃんと真正面から物事を受け止めて考えれば、必ず解決策は見つかるよ。みたいな、ものすごく普通のことを、手を変え品を変えテーマを変えて語られているんですよね。

たぶん、それだけ、「物事をきちんと受け止める」ってことが、苦手なんでしょうね。人間の脳みそというものは。
人間の脳みそは、そういうふうにできている。らしいです。

 

偏見は脳の処理負荷を減らすためのフィルターである

 

たとえば、偏見はダメなことだ。みたいに言われてるし、実際そうだろうなと思うんですけど、でもたぶん、偏見がないと、人間の脳みそは機能しなくなっちゃうんじゃないかと思うんですよね。

全く知らない人間とふたりで、いきなり1時間話してください。みたいに言われたとして、

とりあえず人間関係は挨拶から!
始めて話すときは、とりあえず天気の話が無難だろう。
女性だから、おしゃれが好きなのかも。服の話題を振ってみようかな。

みたいに、あるていど「常識という名の偏見」っていうフィルターがないと、何を話していいのかわからなくて機能停止しちゃうと思いませんか。

だから、仕方ないんですよ。偏見とかフィルターがないと、人間の脳みそは情報を処理できなくなるんです。
生きているだけで、無限に選択肢があるわけですから。

そういうわけで、ある程度偏見や思い込みがあるのは、生きていく上でどうしようもないことだと思います。
マナーとか、思いやりとか、いい言葉で表される「思い込み」だって、本当の本当にそういうものかわからないじゃないですか。

誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」っていうべき、っていう常識、それが偏見じゃないって誰が証明できるでしょうか。
ありがとうはそんな気軽に言うものではないという国もあるそうです。折を見て、言葉ではなく行為で思いを伝えるのが美しいという文化もある。

でもそんなことでいちいち悩んでたら、なにもできないわけです。
自分の信念、偏見、常識、思い込みがないと、何もできないから、私たちは自分でそういうルールを作って、生きているわけです。

だから、本当に思い込みを完全になくすなんてことは、たぶん、出来ないんじゃないかなと思うわけです。ルールがないと生活できないですから。
でも出来ないからって、その思い込みが“絶対だ”とか考えると、他人との摩擦が起きる。自分が生きづらくなる。
だから、なんとかする方法を考えよう、ってことで、ものすごく色々な方法が日々考えられ、作られているんだろうな、と思うわけです。

その技術の筆頭(?)が、仏教の教え、なのかなあ……と思います。

偏見や思い込みを捨てて、あるがままに受け止めよう。

「今、ここ」に集中して、一生懸命生きよう。みたいなね。

 

イライラもムカムカも時間が経てば消える“水物”なのだ

 

学べば学ぶほど、「なるほどなー」と思う部分があります。
「そういうふうにできたら、どれだけ人生が楽になることか」と心底思います。
「でも、私はそういうふうに生きられないよ」と思う気持ちも、まだまだあります。心が抵抗しているのです。

この心の抵抗を真になくせる日が来たなら、私は自分の感情をコントロール……というよりも、ただあるがままに受け止められる日が来るのかもしれません。

ただ、色々本を読んで、いくつか実践してきて、感じていることもあります。
それは、「感情」「思考」ってものは、本当に「水物」なんだなということ。

だってね。お皿洗いって10分とか20分くらいで終わるんですけど。
最初ね、「なんで私ばっかりお皿洗いしないといけないんだろう! ちょっとくらい手伝ってくれたっていいのに!!」とかね、イライラする日もあるわけですよ。
でも、お皿を洗い終わった20分後には、もうその最初に感じた怒りはすっかり忘れて、「お皿洗いも終わったしコーヒーでも飲もう」とか考えてるわけ。
ふとそのことに気づいて、毎回自分にびっくりします。

そのことに“気付く”頻度が増えてからは、ある程度イライラしていても、「もう少し時間が経ったら必ずこの感情の波は消える」と思えるようになってきました。
まあ、それでもイライラするときはするし、たまに癇癪を起して態度に出しちゃうんですけど。

アンガーマネジメント系で個人的に一番効いたな…と思ったのはこちらの本です。

実践よりも本質的な話を知りたいと思う人にオススメのはこちらの本。同じ著者の本なのでどちらから読んでもいいと思います。

ただ、個人的には具体的な方法がつらつらと書かれている「これも修行のうち。」のほうが読みやすかったです。
ここから仏教に興味が湧いて、瞑想の方法とか調べるようになりました。

感情をコントロールできたら、自分に、他人にイライラしなくなったら、どれだけ楽に生きられることでしょうね。

私は最初、体力があって、自分に余裕があれば他人にイライラしなくなるんじゃないかと思い、ダイエットを始めました。
そうして、体力があってもイライラするときはすることに気づいて、今度は心の許容量を増やせばイライラしなくなるんじゃないかと、瞑想を始めました。

それでもまだイライラするときはあって……修行中です。

いや別にイライラはしてもいいんだ。
ただそれを他人に悟らせないこと、癇癪を起して自己嫌悪することを、やめたいなあ。

これからも頑張ります。

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